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南京事件とは何なのか?

南京事件

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南京大虐殺」という汚名が、今だ世界中で流布しています。
ナチスドイツの犯した「ホロコースト」に匹敵する、歴史上類を見ない残虐極まりない所業。世界での日本の評価は、いつしか定着してしまいました。果たして、「南京大虐殺」はあったのでしょうか?


これが本当の南京事件 田中秀雄 解体新書21第95回1

南京事件の概要

研究者からの視点

北村 
 二〇〇七年の四月には、東京の外国人特派員クラブで英語版の内容について講演し、出席者と質疑応答を行いました。
外国人が少なくとも固定観念を捨て、自分なりに南京事件実相を確認しようとする切っ掛けになればよいと思い、慎重な説明をするように努めました。講演と質疑応答の内容は、文藝春秋の二〇〇七年七月号にも掲載されました。

櫻井
 私もその英訳本を、歴史問題に関して私の所に取材に来る外国人メディアの人々、特派員らに参考書として渡しています。
歴史問題の議論になると、冷静な欧米の記者でさえ、感情がさざ波のように揺れるのが手に取るようにわかります。つまり、中国側の情報戦略が功を奏していて、日本が大虐殺をしたなどと信じ込んでいるのです。

引用元:櫻井よしこ著『日本よ、「歴史力」を磨け』第二章より

『「南京事件」の探究』(文春新書)という著書の作者である、北村稔・立命館大学教授は、南京事件70周年であった2007年に、ナチスのホロコーストと「南京事件」を同一視する外国人特派員に対し、文藝春秋誌に於いて論戦を繰り広げました。

中国系米国人によるプロパガンダ

客観的資料に依拠することなく書かれたアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』という間違いだらけの本が、英語で出版され、世界中の人々に読まれて、それが真実だと誤解されている現状があります。
日本では南京大虐殺派の人々でさえ、その本に多くの誤りがあるとみなし、日本版は翻訳されずじまいでしたが、アメリカでは政権に関与するほどの知日派の知識人でさえ、この本を肯定的に評価しています。

引用元:櫻井よしこ著『日本よ、「歴史力」を磨け』第二章より 

「ザ・レイプ・オブ・南京」は、南京事件60年後の1997年に出版。史実に基づくものではなく、事実関係も曖昧且つ捏造写真も多数使用されているものです。
実は、アメリカにはチャイナ系による反日団体があり、後ろで糸を引いています。
「世界抗日戦争史実維護連合会」と名乗るその団体、従軍慰安婦問題の背後にも存在し、日米同盟に水を差すのが、中国の思惑のようです。

南京大虐殺」を世界で初めて報じたのは?

彼は、『WHAT WAR MEANS: The Japanease Terror in China』 (邦訳『外国人の見た日本軍の暴行ー実録・南京大虐殺』評伝社)を、南京陥落の翌年の一九三八年(昭和十三年)の七月に刊行していますね。
中立的立場の欧米人ジャーナリストを装いながら、彼は実は国民党中央宣伝部顧問でもあった。
そしてその出版にあたって、国民党からの偽情報の提供や資金援助が行われていたという衝撃の事実を北村さんがつきとめています。
北村さんの御著書にあるように、ティンパーリーの正体は、これまで誰も暴くことはできていなかった。
それを突きとめる北村さんの調査のプロセスは、読んでいていも、臨場感があってドキドキしました。

引用元:櫻井よしこ著『日本よ、「歴史力」を磨け』第二章より

 「南京大虐殺」を初めて報じた英字紙記者・ティンパーリーは、中国国民党の宣伝工作員だったのです。

南京陥落後の「安全区」では、目撃者のない殺人事件が53人でした。ところが中国国民党は、ティンパーリー・ベイツという欧米人を利用。
1938年、ティンパーリー編集の「戦争とは何か」が出版され、4万人近くの非武装の兵士や市民が、南京城内か城壁付近で殺傷されたと書かれたそうです。

生き残り参戦勇士による証言

稲垣 清氏は、当時第16師団の獣医官として従軍。
12月16日に南京に入城し、45日間留まるも虐殺の痕跡を見た事がないとか。南京場外から帰還してきた市民は賑わいを取り戻し、時計屋・記念写真屋・饅頭店も営業を始めたそうです。

喜多留治氏は、第9師団第6旅団歩兵伍長。
市民は平穏に暮らしていた様子を報告されています。

近藤平太夫氏は、光華門制圧後の南京の状況について、難民区は見なかったが場内は極めて平穏で、日本兵相手の露店が商売をしていたと証言されています。

古沢智氏は、南京入城後退去命令によってすぐに南京を出たそう。
師団長による、無益な殺生を避けて敵に退却する猶予を与える為の計らいだそうです。

斉藤敏胤氏は、南京城内は治安が確保され平穏であった事、部隊は軍の命令をよく守った事を証言されています。

納谷 勝氏は、安全地帯警備には軍紀厳正な部隊が担っていたと証言。
安全地帯の難民の数20万人が、日本軍滞在中減少していなかった事からも「南京大虐殺」などあり得ないと仰っています。

永田尚武氏は、一旦城内に入った後は安全地帯には入らず、17日には南京を去っている。
わずかに残っていた中国人と穏やかに談笑したものの、南京市民と接触する機会は殆どなかったそうです。市民数十万人虐殺など、あり得ない話だったとか。

引用元:2007年WiLL増刊12月号「南京大虐殺」 

 『2007年WiLL増刊12月号「南京大虐殺」』に、「生き残り参戦勇士9人が語る「南京事件」の真実」という特集が組まれました。
日本軍は、昭和12年12月13日に南京に入城。ところがそれ以前に南京市民は、アメリカ人の「国際委員会」が結成した「南京安全区」に集められており、安全地帯の外は無人状態でした。
難民収容所のあった安全地帯に隔離され、保護された南京市民達。日本軍の厳重な監視下に置かれていた為、虐殺・暴行・強姦などは起こりようもなかったのです。

 

 
舞子
南京大虐殺なんて、うち信じとらん。日本人がそんな事する訳がない。お花畑やろか?どう思いはる、ゆづ?
 
ゆづる
そうだね、舞子ちゃん。お花畑なんかじゃない!南京大虐殺は中国国民党のプロパガンダなのさ。「郷土の恥となるようなことはお互い自制しあって、慎んだものであった。」 「犯罪者の汚名を着ては、郷土に頭を上げては帰れないのである。」これが日本帝国軍人のメンタリティーなんだよ。「武士道精神」そのものなのさ。